どうも、Miraiです!
先日からブログを始めた訳ですが、まずはぼくのざっくりとした自己紹介から始めたいと思います。
*ベトナム語ページはこちら
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田舎に生まれる
・バブルがはじけた1990年、福井県にある人口3000人弱、自然豊かな小さな山林の村に生まれる
→今でもコンビニなし、駅なし、日曜に開いてる店なし、バスは1日3本のみ、毎日夜20時には全ての店が閉まるという正真正銘のド田舎(田舎自慢ではほとんど負けたことがありません笑)
ですが、幼少期を田舎で過ごせたことは本当によかったと、今では心から思います
保育園・小・中学校 〜野球少年〜
・保育園、小学校、中学校と全て同じメンバーのクラスという田舎ならではの環境で義務教育の12年間を過ごす
→12年間同じクラスだったため、このメンバーは同級生というより家族に近いです
また、小学校3年から始めた野球にハマり、中学校3年までは完全に野球少年でした
高校 〜ラグビー部で地獄を見る〜
・県内の高校へ進学し、勉強と部活のラグビー両立を目指すも…
→高校は地元にあるそこそこの進学校へ
文武両道を志し、高校からラグビーを始めるも、この部活がかなり厳しかったため、毎日地獄のような日々でした、、、
ホントに毎日辞めたかった…笑
今振り返ってみても、これまでの人生の中で、間違いなく高校時代が一番辛かった…
もう絶対戻りたくないです笑
反面、文系クラスだったため、高校時代は学生時代で一番女子に囲まれる環境でした(今考えれば限りなく羨ましいです笑)
大学進学 〜広島へ〜
・広島の大学に進学し、地元を離れて4年間の一人暮らし
→大学では経済学を専攻、空手部に入り、広島風お好み焼き屋でバイト(他複数掛け持ち)をしながら、部活にバイトに合コンに、と、まさに「The・大学生」な生活を送っていました
20歳 〜留学で人生が変わる〜
・20歳の時にケアンズへ一人で短期留学へ行き、人生が変わる
この留学がきっかけで、世界の広さ、海外の魅力を知り、本当に人生が変わりました
帰国後は速攻で残りの単位を取り終えて、大学生活後半は部活やバイトで休みがある度、バックパッカーとして主に東南アジアを回るという生活をしていました
今振り返っても、最も自由で良くも悪くも無敵な日々を送っていたと思います笑
今のぼくの価値観や考え方もこの時代に築かれたものがルーツになっていると思います
新卒で警察官に 〜警察学校と交番勤務〜
・新卒で公務員となり、愛知県で働き始める
大学時代と打って変わり、結局もっともお固く安定しているとされる公務員へ新卒で就職しました
ちなみにこの公務員というのは警察官です
なんだかんだで一家全員公務員の家庭で育った血は争えず、警察官というTHE・安定の職場で働き始めました
超絶厳しい警察学校を卒業し、警察署の交番へ配属されるも、組織のあり方や自分と異なる意見を全く受け入れようとしない上司等に日々疑問を感じつつ働く毎日でした
とはいいつつも、誰よりも実績をあげることで上司の評価を得、自由と裁量権を得ていく過程はなかなか面白かったです
また、試験に受かればどんどん昇進していけるという仕組みは、ぼくのモチベーションともなっていました
東京へ 〜ベトナム語との出会い〜
・初の異動で東京勤務
基本的には県内転勤のみの警察という組織で、時の上司にも恵まれ、将来の国際捜査官になるべく、東京で2年間の研修を受けさせてもらえることに
ぼくの専門はベトナム人犯罪
全国から集められた警察官と過ごした東京での2年間は、ぼくにとって一生の財産です
この2年間でベトナム語を習得し、晴れて国際捜査官兼司法通訳官としての道を歩み始めました
刑事課へ配属
・愛知に帰県し、念願の刑事課へ配属
2年間の東京生活を終え、兼ねてから希望していた刑事課へ配属されました
…ただ、ここの忙しさは尋常じゃなかった
愛知県で最も忙しいとされる警察署の、警察の中で最も忙しいとされる刑事課での勤務は、本当に過酷でした
毎日22時過ぎまで残業、当直の徹夜当たり前で、明けの日ももちろん通常勤務
土日に当直が当たった時も、もちろん代休はもらえず
月の残業時間はゆうに150時間を超えていたにも関わらず、残業代はわずか
本当に仕事99%の毎日で、精神・身体ともに消耗していきました
ですが、やはり人間ここまで力を集中して注げば、やはり成長するものです
2年目からは明らかに力量が上がり、捌ける仕事量も3~4倍になっていました
警察官からの転職を決意
・20代最後の年に、公務員から転職を決意
苦しみながらも徐々に実力をつけつつ、順調にキャリアアップしていたのですが、再度2カ月間東京へ研修に戻ったときにふと感じた「このままでいいんだろうか」という感覚
確かに仕事はどんどんできるようになってるし、職場での地位も社内権力も上がっていたのですが、仕事に忙殺される日々の中で、明らかに人としての成長の幅が小さい、ということを感じました
逆に、東京へ研修に戻った時は、割と時間に余裕があったこともあり、どんどん視野が広がりかつ人として成長できているという実感がありました
そして、東京研修中に迎えた29歳の誕生日「動くなら今しかない」と思い、転職を決意しました
退職
・転職活動、退職
当初は日本国内の民間企業へ転職しようと考えていましたが、ある転職エージェントと出会い、語学力を活かしてベトナムへ転職することに方向転換
3年後、5年後、10年後にさらに大きなステージで勝負できる自分となれるよう、給与と引き換えに海外で就業することを決意しました
幸い、大手を含む複数の企業から内定をいただくことができましたが、いろいろと悩んだ末、とあるベンチャー企業への入社を決めました
もちろん内定をもらった後に県警の上司に報告したので、上層部や本部はかなり騒いでいたようですが、一度言い出したら言うことを聞かない性格のため、意思を貫き退職
(この間の交渉でも一歩も譲らず、有給全消化を勝ち取りました←警察ではこれがなかなか難しいのです)
今年(2020年)の1月に、約7年間努めた警察官を退職しました
人生の秋休み、そしてベトナムへ
・単身ベトナム(ホーチミン)へ
約2カ月の有給消化期間&約1カ月の無職期間に石垣島を訪れたり、南米の世界遺産を巡ったりと(南米旅についてはまた改めて記事に使用と思いますが、この年代で南米へ行けたことは本当に良かったと心から感じました)人生の秋休みをフル活用した後、2月にベトナムへ
晴れて(?)ベトナム移住生活をスタートさせました
現在 〜ベトナムへ来て3ヶ月〜
・現在
ベトナムへ渡って約3カ月が過ぎました
世界的にもコロナ対策を大成功させたべトナムへということもあり、コロナリスクを全く感じることなくこれまで生活できたことは、本当に運が良かったと思います
ベトナム語が話せるとはいえど、違う国、違う仕事、違う文化、違う生活習慣での毎日はとにかく新鮮で、刺激的で学ぶことが多いです
まだまだ日々試行錯誤、思考錯誤を繰り返す毎日ですが、少なくとも前職のときに感じていたような「この仕事を一生続けてかなきゃ!」的な考えはなくなったと思います(良くも悪くも笑)
ま、今の仕事じゃなくても、たとえ今仕事を辞めたとしても、何とかなるだろう、というとても楽観的な考え方になりました
ここはベトナムで、ぼくは外国人で、知り合いも全然おらず、周りはベトナム人だらけで、給料も全然高くないですが、
「まぁ何とかなるでしょ、、、」
的な気持ちでぼとぼちやってます(いや、何とかするんだけどね笑)
こんな感じでマイペースにブログを書いていこうと思うので、今後も、ゆる~い感じで見守っていただければ幸いです
よろしくお願いします
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